川崎院の橋本静吾(セイゴ)です。今月号から7回にわたって私の今昔物語をお送りしますのでよろしくお願いします。
1988年7月6日埼玉県の大宮生まれ。父は埼玉出身、母は沖縄出身で9つ上と7つ上の姉がおり、末っ子長男としてずいぶん可愛がられて育ちました。
祖母も同居していたため甘い物や果物をよく与えられ、今もその習慣が定着しています。
そのため、患者さん達に甘い物を控えていただく指導をする際は、断腸の思いでアドバイスしています。私自身も毎日大福、プリン、アイスなどなど甘い物を取り過ぎないよう必死にこらえています。
幼少期は幼馴染と補助輪付きの自転車を乗り回したり、父親とキャッチボールをして遊んでいました。
1人遊びも得意で、ミニカーやロボットのおもちゃで独り言をボソボソ言いながら自分の世界に入って遊んでいた記憶があります。
幼稚園は月費用5000円ほどの激安の公立幼稚園に通っていました。入園の可否はクジ引きで私が当たりを引いたそうです。
幼稚園ではサッカーをしたり、先生によく怒られて叩かれたり(叩かれるなんて時代を感じますね)普通に過ごしていたんですが、卒園式が迫ったある時、問題が発生しました。
卒園式では、園児代表1名がステージ上で贈呈品の目録を読み上げるという大役がありました。
どこの親御さんも望んで我が子にやらせたい役で、これもまたクジ引きで決める方式でした。そのクジで何を血迷ったか不運なことに私の母が当たりを引いてしまい、ここから私の地獄が始まりました。
なぜ地獄かといえば、その頃の私は字の読み書きが全くできないからです。
後から知りましたが、普通は小学校入学までに字が読める子が結構多いんですね。私の場合、家族から習ったことはなかったし、幼稚園でもそんな時間はなかった気がします。
とにかく字は読めない、でも読まないといけない。結論として、全文暗記という荒業でやりきるという決断が下されました。
やりたくもないのに、他の人に譲ればいいのにと思いながらひたすら暗記を強要させられました。
そんな中で何度もやりたくないと抵抗して、その度に父親に叩かれて泣いてばかりいました。かわいそうですよね。
冗談半分ではありますが、この件では今でも両親を憎んでいます。
ただ子供の記憶力とはすごいもので、卒園式での本番、読めもしない文章を目で追いながら暗記した文章を言葉にして見事やり遂げることができました。
私自身のことではありますが、よくやったと言ってあげたくなる出来事です。